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企業内英語研修の企画運営・講師をしています。こばれ話を書いていきます。(「人事コンサルの英語研修」www.wilval-hr-support.com)

英語教育の明けない夜明け

 長くご無沙汰してしまったこのブログですが、この記事をもって締めとしたいと思います。英語教育や国際化については、こちらのブログにも随時投稿していきますので、ご覧ください。

 

 今回の内容で伝えたいことは:

特別な条件がないと英語ができるようにならないのか、努力努力が必要なのか、と問われれば、答えは「そんなことないけど、学校教育は変わらないといけない。」です。

 

 私は帰国子女でもなく小さい頃から英語を学んだのでもないですが、幸運にも、工夫された学校教育のおかげで、英語ができるようになりました。その方法が数十年経っても普及していませんということを書きます。「自慢かい、って言われるで。」と友人が言ってますが、昭和の東京民俗誌の1ページと思って読んでいただけたら、うれしいです。

 

その前に、

 企業の英語研修をやっておりますので、そのヒントを求めて読んでくださっている方もあり、そういう方へのメッセージはこの長文の最後になりますので、ここにまずコピーしておきます。ご参考まで、ここだけでも読んでください。


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 わたしが先生をするビジネスマンは、中学高校で恵まれた英語教育を受けてきていません。また、街にはたくさん英語習得の手段がある時代に育ったにもかかわらず、英語ができないまま社会人となっているのは、英語が好きではないに違いありません。その人たちに英語を習得してもらうにあたり、経年の”実験・観察”の結果知るにいたった大事なことは、以下のとおりです。


・言語は第一義的に音であることを肝に銘じ、
声に出して練習すること、リスニングは聞き流さず丁寧にやること

・少なくとも勉強を始める最初の半年は、(特にTOEIC 500点以下の人は)毎日1−2時間 学習・練習すること

 

以上につきます。こまかいツボはたくさんありますが、それはそれこそ教授法の領域のことになります。

 

 企業研修を企画するのであれば、上記2つが可能になるような働き方を作ってください。詰まるところ、やたらな長時間労働にメリハリをつけてくださいということになります。

 

 TOEICを定期的に受験させても、英語ができるようになりません。それを目安にがんばるだろうと言ったって、毎日10時11時まで就業していて、できるでしょうか。それは緊急対応と言われていて、一時的かと思ったらいつ終わるのかわからなくて、いつまた次の緊急が来るかわからない、という状況で、英語学習だろうと何だろうと次のステップを思うようなアクションはとれないのです。

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 それでは、昭和の1ベージです。

 

 私は東京生まれで、国立大学の付属小学校に入り高校までそこで過ごしました。学校は公立ですが、戦前は「名家」の後継者教育をになっていた学校のひとつで、戦後の民主化により女子にも、そして一般庶民にも平等に入学の機会が与えられるようになり、私もその恩恵に浴したわけです。

 

 1959年生まれで、一億総お受験化の少し前です。幼稚園や小学校を選り好みして入るようなことは、多少余裕のある家庭に限られていました。「名家」の子孫も相変わらずいましたから、クラスメートはそこに弁護士、医者、個人経営者、教師、大企業勤務者の子女が入り混じっているふうでした。私の父も田舎から出てきて事業を立ち上げた人でした。もちろん、子ども同士は当人たちの家の事情に、そこまで頓着していなかったのは言うまでもありません。いたって呑気な雰囲気でした。

 

 国立の学校というのは、先生が教授法の研究者であるという点で、通常の公立校と違います。小中高のいずれにおいても、先生方は教科書の執筆者でした。優秀な教授者であり、専門分野の知識見識が豊かなのはもちろんのこと、先生として子どもたちの知性・感性に寄り添えることにおいて優秀でした。ただし、学校には事務や庶務の担当者がたくさんおられて、先生方が教育に専念できた環境も見逃せません。ひとりひとりの先生の思いやりが次々思い出されるのですが、をれを書き出すと話が逸れてしまうので別のところで書きます。

 

 先生方はどうやったら子どもたちの理解が早くなるのか、大事な知的体験をさせてやれるのか、を研究実践していました。鮮明な記憶は、小学校のとき年2回大掃除で学校をピカピカにしたことです。黒光りする階段の手すりや乾ききってないホールのタイルが目に浮かびます。全国から数百人という先生方が「研究発表」に訪問されました。背広姿の先生たちで教室は後ろも横も満員になり、その中でいささか緊張した各専科担当のいつもの先生が授業を発表されました。たくさんの人たちに見られていたという高揚感と、2時間くらいで学校から帰っていいという開放感のあった数日でした。何かあってはいけないので、お出かけは禁止だったように思います。それもまた、何か重大なことに関わったというささやかな興奮につながりました。

 

 こうした先生方の研究と発表によって、全国の各公立学校において、各科目の各単元の、「教え方」が良くなっているかどうか、こまかいことは一般市民としてわかりません。私の子ども二人は神戸市内で公立小学校に行きましたが、なるほど私の母校のやり方が普及したんだなと思ったのは、掃除の時間がお昼休みにあるようになったことぐらいでした。

 

 けれども後で書くように英語教育がまったく異なるスタイルであることからも、「普及」が難しいことがわかります。小学校の先生をやってきた友人によると、母校でやっていたことは、入学試験で選抜した関西弁でいうところの「しやすい」子どもたちを対象にした「実験」であり、やはりそう簡単にあまねく適用できないとのことでした。しかし実験はもちろん意味のあることで、彼女も継続的な先生方の学習会に参加しています。

 

 先生方が教授法を研究しているので、いいだろうと思ったことをすぐに実行できる環境というのは、やはり恵まれていると思います。小学校から英語をやってみるということも、すでに60年代にお試し済みで、入学当時、高学年で実施していました。しかし私が高学年になったときは、中学校からでよい、ということになっていました。リンドグレーンケストナーヤンソンと翻訳のお話が好きで、国連広報の壁新聞を楽しみに見ていて、海外へのあこがれを抱いていた私としては、がっかりでした。

 

 中学1年生から英語が始まりました。私もクラスメートも、日常、英語に触れているような人はほとんどいませんでした。中学校の英語のクラスは机の上に何も置かないところから始まります。K先生はきりっとなさった小柄な女性で、笑顔を絶やさず、無駄な言語音を一切発しないで、基本的な表現から私たちの柔らかい頭に染み込ませていきました。あいさつを覚えた次は” I have a book.” でした。1学期の間に一般動詞の三人称までと、be動詞の単数複数を一通り、文字なしでやったように思います。夏休みにペンマンシップ帳で、あこがれの筆記体を練習しました。

 

 もうひとつよく覚えているのは、英語のクラスの最初の10分間くらいで、phonicsのトレーニングがあったことです。先生はまだいらっしゃいません。授業の前の休み時間の間に英語係がふたりで、よいせよいせと大きなオープンリールのテープレコーダーを運んできて、教壇の上にどっしりと置きます。先生がセットしてくださってあるのでしょう。がっちゃんとつまみを回して再生を始めると、トレーニングというよりクイズを10問します。1つの問題につき、3つの音が続けて読まれるので、仲間はずれはどれでしょう、というもの。例えば、hat-hut-hat ならば、2番が答えです。

 

 2学期になると、「複文帳」が始まりました。B5ノートの見開きを2本の縦線で、3つのエリアに分け、左側に教科書を写し、真ん中に日本語を書く、そして日本語だけ見て、右側に英語を書くという勉強法です。一切、文法の説明はなく、「三人称単数」とか、「be動詞」とかいう言葉すら知らないまま、語彙と構文を身につけていき、中学3年生になったときは、「英語しゃべれる」と思っていました。下町に住んでいた私は、近所の床屋さんにカットモデルさんで来た外国人の通訳をやり、得意になっていました。

 

 複文帳は語学学習のひとつのプロトタイプだと思います。それと

 

・徹頭徹尾、音を先行させていたこと、
・文脈もなしに単語だけをむやみに覚えるようなことを一切しなかったこと、
・日本語を仲介させずに英語に反応する脳神経のルートを構築していったこと、

 

 そんなところが実践された教授法 ーー 残念ながら未だに前衛的な教授法 ーーでした。そこに身を置くことができたのは、かえすがえす幸運であり、感謝するばかりです。

 

 高校に入ってから、誘われて学校の近くの英語塾に行くようになりました。そこは大正生まれの津田塾大出身のF女史が口コミだけでやっているお教室で、学校単位に4−5人のクラスをいくつも引き受けておられました。先生が越路吹雪のコンサートに行くときは、代替日を相談するような、習い事の古き良き時代です。

 

 学校では使わない文法の本も一通りはここで目を通します。ギリシャ神話やO・ヘンリーの短編をやさしく書いたものからまとまった文章を読み、さらに "The New Art of English Composition" というテキストで構文を着実に増やしていきました。ある友人は名門私立高校の出身ですが、学校で使ったと言っていました。条件や譲歩を付した文が目白押しに登場し、「こんな言い回しもできるようになる!」と、章を重ねるのにわくわくしていました。

 

 この作文のテキストの学習は、
1)1章を予習して章の中にある例文20−30文を覚えてくる
エクササイズ作文をやってくる(10文の作文)
2)クラスでは、覚えた文を先生の日本語についで口頭で言う、
  その後先生による解説とエクササイズ作文の検討 (テキストに答えはついていません)
3)次の週は、先生が日本語を言ったら、ノートに書くテスト

 

というやり方で、進みます。1回のクラスでその週の章の1)2)と先週の章の3)をするわけです。これも複文帳をプロトタイプとした学習法です。

 

 日本語と英語を対応させることはむしろマイナスで、先生は日本語をきちんと読むのでなく、「〜っていうやつね。」みたいにおっしゃいました。やっていたのは、日本語から想起した意味を英語に投影するトレーニングなのです。作話能力がつかなければ、話せないし書けないし、ということなわけです。

 

 このF女史の教室での積み重ねと、高校でのS先生の一切日本語を使わない機関銃のようなBritish Englishクラスとのコンビネーションで、私は英語がとても楽しくてしかたありませんでした。小学校から上がっていった高校で、私たちは呑気組ですが、そこには全国模試の覇者みたいな公立中学の優等生が入ってきます。勤勉なその人たちが、先生が話している間に辞書を引こうものなら、怒られる。聞いて理解しなさいということで。やっぱりわからないけど、聞く。質問されたら咄嗟に何か言う。そういうことを柔らかい十代の頭に強いることこそ、学校がすべきことなのだと思います。

 

 関西に引っ越し、震災の後、神戸市郊外に住むようになり、子どもがまだ小さいころでした。ご近所の高校生が夏休みの宿題に、基本構文を100文30回ずつ書いて提出、というのがあると聞いて、呆然としました。それが公立の最上位校であり、そこでがんばることこそ正しい道というワールドに、あまりに無縁で育った私を母親にもつことで、子どもたちはさぞや迷惑したろうと、今では思うわけですが、その話も教育の話ではありますが、また別の話になりますので、ここでは我慢します。

 

 一般には、英語はあきらかに「暗記もの」なのだと認識させられました。地域の子供たちを対象に英語教室をしたときも、中学校に上がってから、塾・学校のやり方に目を丸くするばかりでした。ですが、そのときの体験があるので、今ご指導するときも、どこを通ってこられたかわかるので、舵の切り直しを思い切ってできるのだと思ってます。

 

 むかしばなしに戻りますが、K先生、F女史、S先生だけでなく、英語を話す機会をご紹介いただいたり、お世話になった方はたくさんあります。おかげで大学受験のときにあえて詰め込みはしませんでしたし、大学在学中に英検1級に合格したときも、対策本など見ないでにいけました。それでも院生になって、留学したいという気持ちが現実味を帯びてきたときには自信がなく、千駄ヶ谷のT校でまたすばらしい先生方のお世話になることになりました。

 

 言語は語彙と構文で、表現の道具になります。何か表したいという「意味」が想起されたときに、それと対応した英語の語彙と構文を「ささっと」選択し、「さくっと」まとめて発すると、英語ができる、ということになります。

 

 “ I have a book."から始まって、高校レベルで頭の中に蓄えた構文がわたしにとっての土台であり、わからないながら英語を集中して聴いたこと、洋楽や洋画から使える表現を見つけるのも楽しかったこと、それがわたしの「ささっと」と「さくっと」の源泉です。今でも、論説記事などを読んだり、討論を聞いたりしたときは、こんな言い方真似しよう、というのを控えておきます。後からあまり見てないのは反省点ですが、どういう文脈でどんな言葉を「きかす」のか確認するだけでも、足しになっているかなと思っています。

 

 今インドネシア語にとりくんでいますが、基本はやはり複文帳式で、書き出した表現を再生するトレーニングをしています。まだ初心者ですが、語頭と語尾の変化によって、表現が多様になるインドネシア語が面白くなっているところです。(基本の理解から順番に重ねていくようなよいテキストに出会いました。)

 

 わたしは留学を果たし、日本と米国で修士号をとりはしましたが、父が亡くなったりで、国際機関で働くという当初の目標を一旦しまいこみ、銀行のシンクタンクなどで仕事をするようになります。その後、子育てにどっぷり入っていく選択についても、ここでは話すのを控えるべき領域です。子どもが大きくなったとき、英語を教える機会を世の中がたくさん与えてくれたおかげで、このブログを書く今日があります。


わたしが先生をするビジネスマンさんたちは、中学高校で恵まれた英語教育を受けてきていません。また、街にはたくさん英語習得の手段がある時代に育ったにもかかわらず、英語ができないまま社会人となっているのは、英語が好きではないに違いありません。その人たちに英語を習得してもらうにあたり、経年の”実験・観察”の結果知るにいたった大事なことは、以下のとおりです。


・言語は第一義的に音であることを肝に銘じ、
声に出して練習すること、リスニングは聞き流さず丁寧にやること

・少なくとも勉強を始める最初の半年は、(特にTOEIC 500点以下の人は)
毎日1−2時間 学習・練習すること

 

以上につきます。こまかいツボはたくさんありますが、それはそれこそ教授法の領域のことになります。

 

 企業研修を企画するのであれば、上記2つが可能になるような働き方を作ってください。詰まるところ、やたらな長時間労働にメリハリをつけてくださいということになります。

 

 TOEICを定期的に受験させても、英語ができるようになりません。それを目安にがんばるだろうと言ったって、毎日10時11時まで就業していて、できるでしょうか。それは緊急対応と言われていて、一時的かと思ったらいつ終わるのかわからなくて、いつまた次の緊急が来るかわからない、という状況で、英語学習だろうと何だろうと次のステップを思うようなアクションはとれないのです。

 

と言って、このブログは一旦撤収します。

英語研修のご相談は継続してお受けしますので、お声かけください。

プレゼン・アクティング

前回は、ある程度プレゼン経験のある人たち向けの練習をご紹介しました。(自分の業務くらいはプレゼンできてしまうけど、ワンパタンで丸暗記にほど近く、質疑応答はもひとつ自信がない、というくらいのレベルです。)

 

今回は、「プレゼンなんてまだまだ。。」というレベルの人たち向けです。

 

例えばこのテキストなどには、会話やスピーチのリスニング教材が入っているわけですが、ビジネス・プレゼンをしている設定のものがあります。(例えばp.22。Lenovoの人が売上やシェアを、円グラフ、折れ線グラフで説明している設定です。)

 

Business Result Pre-Inter Student Book Pack and DVD-ROM

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 それをリスニングーリピーティングーシャドウング練習に使用してから、だいたい覚えてしまった段階で、プレゼン・アクティングに入ります。ポーズを自分でつけて、テキストどおりの内容を、ホワイトボードやスライドの前で語ってみるのです。より丁寧に、もひとつステップを踏んで、シャドウイングをボードやスライドの前でするのもいいです。

 

言葉使いは多少違ってもいいことにして、手の使い方、体の向きをきちんと練習します。

 

例えば、

オーディエンスに背中を向けない、

手で図表を指し示したら、観客の視線を確認し、すぐ下ろす

などの基本ルール。

 

何を話したか以上に、どんな様子で話したかは受け取り方に影響しますので、変な癖がつかないように、この段階から非言語的表現を身につけていくのは、とても効率的です。

シャッフル・プレゼン

グラフや表を持ち寄って、交代にプレゼンする練習をやってみました。

 

通常プレゼンの練習としてやっていることは、

 

(1)業務で実際に使う内容をスライドで用意してプレゼンする

(2)業務関連または時事問題からグラフ/表を1枚〜数枚用意して、プレゼンする(”割稽古”的)

(3)スピーチをする

 

いずれもQ&Aや、フロア(オーディエンス)に確認したり、質問を促したりするところも練習します。

 

今回(2)のバリエーションとして、シャッフル・プレゼンをしてみました。自分の持って来た資料だけプレゼンしてみせるのでなく、
クラスメート(1クラスは6人前後)の持ってきたものでもやるのが、シャッフル・プレゼン練習です。

 

一人が何回も前に行きます。同じスライドで何人もがします。

 

自分のネタですと、やはりセリフ丸覚えを吐き出すような部分が多くなってしまいがちです。このシャッフル・プレゼンは、その場で理解した要旨に沿って、
グラフ/表を説明し、ポイントを明らかに示すことが求められるので、なかなか練習になります。

 

次々に交代で前に出るので、動きが出て活気がでますし、身構えずにやってみる雰囲気が演出できます。

 

違う角度の話が出てきたり、だんだん上手になっていったり、グループで盛り上がっていきます。


通常の、プレゼンをしてはコメントをもらって改良していく、というプロセスよりも、楽しく取り組めた気がします。

お勧めします。